夫はゴミ捨てとお風呂掃除、それに洗濯物の取り込み。
妻は保育園の送り迎えや離乳食、ティッシュペーパーや洗剤などの在庫管理。
……というふうに、育児や家事のタスクを夫婦で振り分けて、ちゃんと分担しているというご家庭も多いかと思います。
タスクの総量がそこまで多くなければうまくいくんだけど、なんだかんだで忙しい時期はありますよね? そんな時に限って「あ、保育園のお弁当の日だ!」とか「そう言えば請求書来てなかった?! あれいつまで?」とか、想定外のタスクが降ってきたり……あるあるです汗
ヘトヘトになってタスクをこなし、ふと一息ついたときに「昨日ゴミの日だったのに、ゴミ箱が満杯なんですけど……」「トイレットペーパー最後の1個じゃん。ストックないの??」などなど、パートナーのタスク処理の荒さが目につくと一気に不満が最高潮に。
今回の記事では、効率よくと思って設定した「家事や育児の分担」がうまくいかないとき、ぜひ立ち戻ってもらいたいことを伝えたいと思います。
「分かり合える」を捨てる
「分かり合える」を捨てる。
ここがスタート地点だと僕は考えています。
「言葉など交わさなくても、あいつのことはおれが一番よくわかっている」
……という感じでド直球に考えている人は流石に少なくなったと思いますが、長く一緒にいる人のことは、つい「わかった気」になりがちです。
しかし、普通に考えて、もともと他人だった二人が結婚したからと言って「お互いを理解している」状態にはなれません。
ではなぜ「分かり合える」気がするのか。
それは人間は楽をしたい生き物だからだと思います。「何も言わなくてもお互いを分かっている夫婦」だと思い込んだ方が楽で、とても都合がいいからです。
しかし、極論の極論を言えば、人間はどこまで他者を理解したとしても孤独であることには変わりなく、誰かと一緒になるというようなことはできないんですよね。
夫婦だってひとつになることなどできないし、なる必要がない。それぞれ独立した個人がまずあって、ひょんなことから一緒に住んでいるだけ、くらいのイメージなんですよね。
夫婦生活、美化しすぎ説
こんな発言をすると「え? じゃあなんすか、何が楽しくて結婚したんすか?」とか「寂しい人間ですね」って言われそう……やめて! いじめないで! もちひろのライフはもうゼ(
ただ思うのですが、べつに分かり合えなくたって楽しいですよ。むしろわからない部分とか、初めて知ったなあという部分がなければ、日々の生活の中で考えたり工夫したりする楽しみもなくなってしまうなと思います。
あと、結構人って「次の来るライフステージ」を美化する傾向があるじゃないですか?
高校生が「大学生になれば校則も無くなって自由度が上がり絶対楽しそう!」とか、恋愛未経験の人が「彼氏・彼女ができればきっと毎日輝いているのだろうな」とか。
同じように「結婚すれば素敵な人生が」だったり「夫婦生活はとても素晴らしいもの」というような、結構強めのバイアスがかかっていると思ってて。
でもいざそのステージに立つと、思っていた景色よりもずっと普通で、ずっと現実的な世界で、なんなら知らなかった(いや、知っていたはずなのにそんなものはないとなぜか思考の外に追いやっていた)煩わしさもたくさんあって……
それってけっこうつらい。つらいよ泣
それよりも、何かの偶然で、ちょっと気が合うなと思った二人が一緒に住むことにしてみたくらいのほうがいいんじゃないかと。
「人を許すスキル」持ってますか?
なんら分り合うことがない二人が一緒にいるというのは、長期的に見れば相手にストレスを与えるのは結構当然だと思っています。
ですので、僕が今結婚生活をどう捉えているかというと、
「許しあって生きている」
みたいな感じです。
何にも特別な関係の二人が、特別な環境で分かり合っているわけではない。ただ一緒に生活している。でも一緒にいると、お互い違うところが見えてくる。それはそれでお互い伝え合って「それくらいなら許せるよ」という落としどころを作っていくイメージです。
そして、ここで明確に「スキル」とつけているのは、許すっていうのは気持ちでなんとかなるみたいなふわふわしたものでなく、れっきとした技術だと僕は思うからです。
じゃあ、この「許すスキル」はどう身につけるのか。
人は間違うし、忘れるし、面倒なことも起こす
これはもちろん、指先を器用に使うような物理的な技術ではなく、知識と理解、考えの持っていき方を組み合わせた「思考スキル」と言えるでしょう。
その一歩が、次のことを腹落ちさせることです。
すなわち、「人は誰でも間違うし、忘れるし、面倒なことも起こす」ということ。
めちゃくちゃ当たり前なことだなと思った方。そのとおりです。
しかしながら、実生活の中での他人(夫や妻も含む)に対しては、このことをすっかり忘れてしまい「あなたは間違ってはいけない、忘れてはいけない、要らぬ問題を起こしてはならない」というメッセージを与え続けてしまっている人がいるのです。
よくメディアで「失敗を容認しない社会」についてネガティブに扱われたり、会社などでは「失敗してもいいから挑戦してみる」という社風がアピールポイントになったりしますよね?
ただミクロに捉えてみると、失敗を許せないのはあくまで個人であり、人の心理状態の問題。もっともっと小さな単位のコミュニティで観察し、思考練習をしてみるのが良いのではと思います。
繰り返しますが、「人は誰でも間違うし、忘れるし、面倒なことも起こす」。
これを忘れないでいることが許すスキルの第一歩であり、土台です。
してほしくないことは伝え、してもらって嬉しかったことはもっと伝える
許すスキルが育っていない場合、往々にして夫婦仲にも亀裂が入っていることが多いかと思います。
そしてそんな家庭の特徴としては以下のような感じです。
- ちゃんと言葉にしていない
- 言葉にするときの言い方が圧倒的に悪い
- ポジティブなことは特に言語化されずに「家事」が「雑用」になっている
裏返せば、これらを改善することがお互いに「許しあえる」ことにつながります。
ちゃんと言葉にしていない
特に、してもらったことに対する「感謝」が欠けていることが多いです。
ちなみに「感謝を感じている」のと「感謝をする」は違いますよね。これもちゃんと言語化するスキルとも言えるかなと。
言葉にするときの言い方が圧倒的に悪い
人それぞれ「嫌だな」と感じることは違います。
そう思ったことは相手に伝えて、直してもらった方が絶対に良い。これにはあまり異論はないと思います。
ただし「言い方」が致命的に不器用というか、やはりここでも伝え方の技術みたいなものがどうしても足りないと、要らぬ衝突を起こします。
例えば、ご夫婦のうち一方は「シンクに洗っていないお皿が溜まっているのが嫌だ」と感じており、もう一方は「特に気にならない。一日の最後にまとめて洗えばいい」と思っているとします。
ここで「なんで洗い物ほったらかしなの? なんとも思わないの?」なんて言い方をすると……
想像つきますね。言われた方も「いやこっちはべつに気にならないし。そう思うなら洗えば?」みたいなことになる。
そうするともう、もともとはちょっと洗い物の残りが気になるという話だったはずなのに、相手への憎悪を無駄に膨らませ、いかに相手に謝ってもらうかみたいな対決が始まります。
お皿数枚でここまで拗らせることが、言い方によっては可能なんですね。
でもここで、例えば「アイメッセージ(自分を主語にした伝え方)」をスキルとして持っている、あるいは自然と身につけているという人は、
「実は洗っていないお皿がシンクに残ってるとさ、私ちょっと気になっちゃうタイプで。休日のお昼ご飯の後も洗うようにしない? 協力してもらえるとすごく助かるんだけど」
というように伝えることができます。
その後の会話も、前者に比べて格段に建設的になるかと思います。
ポジティブなことは特に言語化されずに「家事」が「雑用」になっている
なんら分かり合えない二人の共同生活において「なにかをしてもらえる」ということは、全く当たり前ではありません。
パートナーが稼いできたお金も当たり前に使えるものじゃないし、温かい夕飯も当たり前じゃないし、お風呂上がりに畳まれたバスタオルがあるのも当たり前じゃありません。
こういった当たり前じゃないものに対して無自覚のままだと、「家事」が、誰にも興味を持たれず感謝もされない、単なる「雑用」になります。
このことは、時々思い出して、言葉にする習慣をつける必要があると思います。
もちろん自然とできている方もいるでしょう。ただもし無自覚だったなという方は、1日1回、その日にしてもらったことを思い出して「ありがとう。助かったよ」と伝えて欲しいのです。
自分で言うのも恥ずかしいですが……多分人よりも、妻には「ありがとう」と言っている自負があります。
終わりに
ザーッとまとめると
- 分かり合えるという考えを捨てる
- 許すスキルを身につける
- 人は間違い、忘れ、問題を起こす生き物だと考える
- してほしくないこと、してもらって嬉しかったことを言語化し伝える
という感じでしょうか。
今回の記事で、少しでも夫婦間のわだかまりのようなものが消えたという人がいれば嬉しいです。
それでは今日はこの辺で。したっけねー!
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