うちの娘(通称〝おもちちゃん〟)が昨年に爆誕してから1年。
育児の総距離から考えても、僕らはまだまだ道半ばです。
だがそれでもあえて言いたい。
いくらご本人に向き合っても、いくら育児書にかじりついても、いくら夫婦で話し合っても、
「育児わかんな! むず! 仕事の方が500倍楽だわ!」
と思うのです。
みんな薄々思ってるよね? 認めようぜ!
それじゃあ今日はこの辺で。したっけねー!
……と終わらせると怒られそうなので(誰に
今回は「なぜ育児はわかんなくて難しいのか」、そして「ならばどのような態度で育児に臨むべきか」を少し考えてみました。
そもそも「育児わかってる人」ってなに?
逆に「育児をわかってる人」っていったいどういう人なんだろう?
経験が豊富な人
単純に、育児経験が豊富な人は強いように思える。
すでに2人育てていたり、現役の保育士さんだったりするといわゆる「権威付け」がされて説得力あるよなあと感じますよね。
例えば僕は教育業界に長いこと身を置いているので、携わっていない人に比べれば教育について知見があるつもりですが、育児のことは娘ができるまでさっぱりです。
客観的データを知っている人
客観的データがある程度頭に入っている人も強い。
これが一番役に立つのが、養育費・教育費でしょう。これは経験というより、ちょっと調べてみる/計算してみることで、ある程度知ることができます。
- スイミングスクールに3年間通わせるといくら?
- 中学3生の1年間の学習塾代は?
- 一般的な私立理系大学の学費は?
などなど。
また既に存在している統計データ、研究結果などの「エビデンス」を知っていることも強みになります。
育児の集合知
つまるところ育児の集合知は、
膨大な量の「個人」による経験値の寄せ集め × 統計や研究結果によるエビデンス
と言える気がします。
たぶん、この両方が揃っている人はかなり「育児わかっている人」認定されやすい。
僕なんかは経験値もまだまだ、エビデンスも数冊の育児書ベースでこちらも中途半端なので「あんまわかってるとはいえない人」って感じでしょう。
経験も豊富で、さらに知識としてエビデンスを有している――例えば「元保育士で3児の母」とか「息子を東大に入れた心理学者の父」とか、まさに専門家の方の発言は非常に説得力があり、悩みの絶えない僕としては情報に飛びつき真似したくなります。
でもここに少し問題が。
みんな「すごく詳しそうな」顔で、違うアドバイスを発信している
一昔前だと一部界隈で(と思いたい)「母乳信仰」がありました。
「母乳の方が強い子に育つ」「母乳で育った子の方が頭がいい」ひどい場合は「母乳の方が母子の絆が深まる」とか。Twitterでも「初対面の年配者に母乳か聞かれ、不快な気持ちになった」というような投稿を見かけます。
確かに母乳は生後間もない新生児には最適な栄養となっており、アレルギー性の発疹抑制などに役立っています。
しかし、そのほか言われている多くのことについて、それを裏付ける有効なエビデンスはありません。
例えば「母乳で育った子の方が頭がいい」という話について。アメリカの最近のデータでは「高学歴な人ほど母乳育児を選ぶことが多い」とわかっています。一般に高学歴な家庭の子供は、低学歴の家庭の子供より学力が高くなる傾向があるでしょう。つまり、母乳育児かどうかは子供の学力と相関しているかもしれないが、因果関係を裏付けることはできないのです(ちなみに相関関係と因果関係をうまく切り分けて話せる人と理解できない人とでは会話が成り立ちません。この例を見て「やっぱり母乳で育つと頭が良くなるじゃないか!」と思ってしまうのがいかにズレているか……想像できるかと)。
ましてや「母乳のほうが絆が深まる」なんて話は、母乳がうまく出ない母親に対してとても失礼だと思います。
もちろん、母乳で育てている人が感じているメリット(主観的のものも客観的なものも)について否定するつもりはありません。
でも、一昔前までは今よりももっと、「母乳のメリット」を実際以上に大きく見積もり、聞いてもいないのにアドバイスしてくる人がいたのです。
これは新米の子育て夫婦にはけっこう辛い話で、やっぱりみんな詳しいそうに見えるんですよね。そして詳しそうな人たちがちょっとずつズレたことを言っている……
これは育児界隈に限った話ではないですが、情報が豊富なかわりに玉石混交なのです。
何を信じていいのだろう……日々そう感じるときの対処法
何が正しい情報かは、時代によってもその子のタイプによっても、国や文化によっても変わります。
「こうした方がたぶん良さそうだな」というような方針はとりあえず決められる。
でも、なにかうまくいかないことがあるたびに「本当にこれでよかったのかな?」「他にもっといい方法があるような気がする……」となるんですよね。
今僕らが実践している考え方をご紹介します。
正解がない試行錯誤 = 生きる力
なんかきたよ説教くさいやつ。こりゃブラウザバックだな……
ちょっと待って! わかる! なんか上からな感じになってるかもしれない! でも結構大事なの!笑
我々大人たちは「正解に辿り着く」教育は受けたが「正解を決める」教育は受けていない
教育業界に長くいるととても実感するんですが、ここ最近の国の改革への力の入れ方は(それが功をを奏しているかどうかはさておき)凄まじいです。
学習指導要領の改訂、大学入試改革、GIGAスクール構想……枚挙にいとまがないわけですが、その一連の改革の中で言われているのが「生きる力」というもの。
これ、国が行っているワードなんですよね。
簡単に言うと「正解が決まっているものはシステムを組んで自動化したり、AIが答えを導き出してくれるので、人間はもっと創造的なことを求めらえるようになるよね。それには知識があるだけではなく、それを活用することができなきゃいけないよね。それがこれからの『生きる力』だよね」というやつです。
めっちゃ端折ってるので詳しい人が見ると説明足らずかと思いますが、おおよそそんな感じです。
極端な話、皆育児に悪戦苦闘するのは「正解を自分で決める」ことに慣れていないからなのではと、最近特に思うのです。
しょうがないよ、そんなふうに教えられてないもん(
……でもまあ、そうも言ってられないと。
ちなみに「正解なんてない」ではなく「正解を決める」なのがミソというか、決めるということは行動しそれを続けることにほかならないですから、変に「正解なんてない」ものにしてしまうと、できるだけ何もしない方が良い=楽な「放任」に流れやすいんですよね。これはこれで危険。。
とにかく、目の前の小さな生き物(しかも食べ物を投げるし大きな声で泣く)を相手に「正解探し」というのは無理ゲーだと諦めて、さらには今求められているような「生きる力」なんてぶっちゃけ我々大人には身についてないよと認めたうえで「うちではこうして行く」を決められるように、大人も試行錯誤して成長しようねって思うわけです。
そう、そこのおまえ! 成長するのは子供だけじゃないんだぜ!!
わからん。けど考えた。そして決めた。いや修正……
もちろん悩んで悩んで路線変更するのはありだと思うし、その繰り返しになるよなと、育児していると感じます。
太い木の幹のような確固たる方針を打ち立てたいと思いつつ、まだ最近発芽したばかりで、デコピンしたらすぐもげますうちの育児……みたいな。
やっぱわからん。そうなりますよね。
ただそこから調べて考えて、決めてやってみたらやっぱダメで修正して――これをかっこよくいうと PDCAを回すなんて言いますがまあカッコよくなんてなくていいんですが――でもまあやっていると「生きてんなうちの家庭」ってなるんですよね。まあしんどいんですけどね。
思えば数十年も前の育児書にも結局「夜泣きの対処」とか「離乳食の食べさせ方」とか「トイレどう教える?」とかが載っていて、その後研究が進んで根本的に解決しましたかって言うと、今現在だって悩んでいる人が大勢いるわけですよ。
思った以上に、難問に立ち向かっている僕らなわけです。
終わりに
育児がわからん。
しかしそれは諦めの言葉ではない。
……ということを語り尽くした記事となりました。
そういえば宮部みゆきだったか、とある小説の中で「人を育てるのは一番創造的な仕事」というようなことが書いてあって、ほんとそうだよなとか感じたのを思い出すなど。
創造って面倒ですよね。でもたぶん、創造的な生活は楽しいですよね。
そう信じながら、時計を見ると22:00でもう眠い。
今回はこの辺で。したっけねー!
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